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実験をします

2025/05/22

施設に繋がってくるボロボロのギャンブラーと会うたびに思う。生きていて良かった、何とかなるという思い。同時に湧き上がる、こうなる前にどうしてという思い。

そして僕らは自己否認するかのように、一次予防や二次予防の大切さに回帰する。

つまりこういう事だ。

一次予防や二次予防で100%の効果があれば、施設につながらなければならない状態の三次予防の必然性は存在しないという事。

 

さて各自治体では、行政主導で依存症対策ほにゃらら会議みたいなものが開かれているのをご存知だろうか。

もちろん行政主導の依存症対策だから公益が求められるのだけど、方法論がアップデートされない。

特に最近の依存症への入り口は人から人へではなく子供でも扱うスマホからだ。

依存症発症の若年齢化はそれが原因とも考えられているし、僕自身の体感としてもここに異論はない。

 

にもかかわらず、予防のための冊子やポスターの制作を。そしてそれを配布する場所を改めようとのマイナーチェンジがその会議のテーマだ。

 

いやいや、そうではない。

ポスターが貼られている前ではなく、皆んなスマホのある下を見てるよ。見る場所に予防した方がいいと僕は思っている。

 

前置きが長くなったけど、行政のスピード感では追いつかない問題をパパッと実験できるのが民間だと思うので、今年度COBYPLANの予算にSNS対策を独自に盛り込むことにした。

 

この実験の目的と方法、期待する効果は以下。

目的:

より公益な対策は行政主導で行った方が費用対効果が高いのでお願いしたい。その実績作りとして実験を行う。

方法:

SNSを通じて、依存症対策のための窓口を開設する。

集客が目的ではないので、配置した窓口の相談者は対象者の状況に応じてしかるべき機関へ誘導する。

相談者にはどこからたどり着いたか確認する。

SNSのアクセス数を解析する。

これらSNSの運用から集計、報告書作成まで専門の業者へ外注。

一次予防や二次予防としての効果検証、外注費や人的労力を鑑み費用対効果を数値化したものを依存症対策ほにゃらら会議に提出。

期待する効果:

開設したSNSアカウントを介して相談窓口への相談件数が増加する。(なお、実験のために予算を続けられないのでSNSのアカウントは年度末で閉鎖)

来年度以降は行政主導で公益なものとして運用される。

以上

 

みなさん、よければフォロー拡散お願いします。

https://www.instagram.com/yamerarenai.fight?igsh=MWEwcW4xNjI5Nm4wbA==

 

 

波乗り時々サッカー

2025/04/01

例えばこう言う人もいる。

 

与えられるから受け取りたくない。

 

 

誰かに入院させられた。

誰かに施設に入れられた。

誰かに仕事を斡旋された。

 

 

こう言うのは施設の生活で、少しづつしてもらった事に変わっていくのだけど、こじれることがある。

 

施設にいても、誰かのコントロール下にあると感じている時だ。

 

 

だから僕は、その人の生きる力を信じてコントロールからの脱却を提案する。

 

最近、アルバイトを始めた彼も同様だ。

施設での取り組みを自分で稼いだお金でやってみたらどうだい?

いつまでも親にやらされてどうするんだよ。あなたの人生じゃないのか。

 

こんなやり取りで、仕事を探してきたKはそれこそ3日で辞めてきた。

 

辞めたいと相談に来た時、自分で決めていい。僕はあなたが決めたことを全面的に支持すると伝えた。一点だけ、親からの入所費用がなかったとしても同じ決断をするかは考えてみるよう付け加えた。

 

数日後、職場に辞めると伝えて帰ってきた。

 

周りの仲間たちの目が気になっているのかどうかは知らないけど、いつもと違う場所に座ってどうしたらいいのかわからなそうな顔をしているので、次はいい仕事に出会えるといいな、それとも本気出すために先に家族に入所費用の打ち切りを伝えるか?と冗談を交わした。

 

次はハローワーク経由ではなく仕事を探してみるようだ。

 

頑張れ。

 

 

人生の責任を自分で取るから、自分のサイズがわかる。

だから、誰に何を頼ったらいいのかわかる。

 

 

そんなモラトリアム脱却から始める人もいるが、その心理的葛藤は愛せる。この先どうなるのか、一緒にみてみたい。

 

親と子

2025/03/21

僕はギャンブル依存の父を見て生きてきた。

 

僕は第一子長男として生を受けたのだけど、

父がギャンブル依存症だという事は20代後半まで知らなかった。実際のところ、社会の中で認知されていない病気だったということはとても大きいのだが、NSとして働いていた頃に「患者」を通して父を知る。

 

ところで、子供ながらに僕は当時何を思っていたのだろうか。ギャンブルがやめられず、借金を作っては母とバチバチやっているその時に、どう生きていたのか振り返る機会が最近あった。

 

幼い子供を妻に任せて治療しているギャンブラーの、家族への埋め合わせについて考える機会があった。

まだ幼いからと子供達には隠して治療していたが、契機が訪れ子供達に事実を伝えたと妻から聞く。まだ指の数にも満たない子供が、話してくれてありがとうと母に言った。お父さんは生きていたんだ、良かったと言ったという。

 

僕はこの話がよくわかる。

家の中で隠されている事、それが家族のためであったととしても子供の僕は家族の一員である事を否定されているように感じていた。でも、その理由も僕らを傷つけないためにやっている事だろうから、触れてはいけないとも思っていた。だからこそ、何もなかったかのように毎日を過ごすよう心がけていたけど、実は毎日毎日が不安でいっぱいで、大人になればこれは解決すると信じ込んで、子供なのに大人のふりをした。いつも責められている、でも大好きな父の話をすれば母が悲しんだり不安になったりする。それをしたくないから父の話は母にはしなかった。結果、悩みを相談したり、誰かを頼るという事をしないのが大人の振る舞いだと勘違いするようになっていった。

僕はいまだに、この特徴が悪影響する時もあるのだが、この業界にいるとそんなのすべて見透かされてるから隠す必要もないことに気がつき、話すことができるようになった。これは同業者や専門家だけでなく、施設の利用者にも同様だ。彼らに起こったことは、僕自身が共感できるし彼らもまた受け入れてくれるという信頼感がある。なぜか?それは彼らが正直に自分の話をしてくれていると感じるからだ。

 

話を戻そう。

僕は子供だったけど、何が起こっているのか知っていた。ところが話してくれないから知らないふりをした。僕が欲しかったのは、信頼してもらえているという絶対的な安心感だった。

子が母に、話してくれてありがとうだなんてなかなか言えない。ちゃんと子供たちは育っているし、これまでの親子関係の賜物だ。話してくれたこともそうだけど、信頼してくれたことが嬉しかったんだろうなと勝手に想像を膨らます。

 

僕はこの話を共有したくて、自宅に帰って妻に話をした。今は僕にも、絶対的安心感の場所がある。妻は、うん子供はちゃんとわかってるよねと話を聞いてくれた。

 

会ったことのない、誰かの家族の話に自分を投影して涙する。まだまだ未熟者、だけどもそれが僕。

相談しましょう

2025/02/12

うまくいかない人を見たとき、相談するのが苦手だから相談しようと声をかける。

支援者がよく使う言葉だ。

 

相談が成立する時、

支援者は頼られていると勘違いするので相談内容のすべてを解決しようとする。これが所謂余計なお世話というやつだ。余計なお世話はあえてする時もあるけど、基本的に必要ない。こういった話をすると、無関心に全振りする人もいるが無関心と、余計なことをしないは全く別物だ。無関心ほど役に立たないものはない。

こと人は責任を怖がる。

 

当然相談者も怖いわけで、責任の取り扱いが相談の基礎となっているのは言うまでもない。

 

ふーん

2025/01/24

仕事も出来るし、ギャンブルの問題も解決した。

施設を出て1人で生きていける状態だ。

これが退所時の彼の話。

 

それでは、と送り出した数日後にギャンブラーの保護課の担当者から電話。

 

退所時にあったそれなりのお金を使い果たし、現在は解体屋で日払いの仕事をしている。会社に前借りしている状況で生活が回らならなくなっている。施設に戻ったほうが良いと伝えている。

 

本人のやる気があるのであればどうぞ。

 

改めて連絡が来る。

 

ギャンブラー本人から3つの条件を確認する様言われている。

 

一応聞く。

 

答えは本人は知っていること。

うまくいかなかった。施設に戻るけど自由にやらせてくれとその程度の話。

 

施設はギャンブラーにお願いして、いてもらう場所ではない。

 

 

僕にも出来ないことはある。

助けは求められる様になった方がいい。

でも利用したり、コントロールしてはいけない。

 

ママチャリGP2025

2025/01/15

先日、静岡県にある富士スピードウェイで毎年開催されているママチャリグランプリ2025に参加してきました。

改造なし、いわゆるママチャリを使ってサーキットを何周できるか10人1チームの耐久レースです。

僕がまだ東京に住んでいた頃、友人と参加していた思い出の大会についにCOBYPLANの仲間たちと参加することができた。

実は、ブログが更新できないくらいバタバタだった僕は参加できていないのだが。

上の写真は、一緒に参加してくれた山梨の施設グレイスロードの仲間たち。

対決を申し込んでいたのだが、さすが山梨。

佐賀のような平坦な道ではなく、アップダウンの激しい山道を毎日駆けているおかげか?大差で敗れた。

佐賀200位、山梨50位。

上の写真は周回して次の走者にバトンタッチした後の上から見下ろされる仲間たちの目線。一周走れば、地面に倒れ込むほど体力を使うことがよくわかる写真。

上の写真は今回のレースで使った車両とそれにつけたメッセージの幟。

Vモンキーってギャンブル漫画の技の名前らしい。

キャッチーでいいと思ったが、ギャンブラーとしての血がここでも騒いだようだ。

スタート地点。

ちょっと上がるなぁ。

誰よりも競輪(おっと自転車)好きこーすけ。

スタートまでまだまだ時間があるのにさっさと準備してボルテージを上げていく。

サーキット場で弱者よりも回復を優先したのかはわかりません。

終わったら、みんなで記念撮影。

山梨の自助グループに参加し、自転車を車に積み、みんなで車で帰ってきました。

 

みんなお金がないので宿泊費を削るためグレイスロードに宿泊のお願いをしたところ快く受け入れてくれた。

グレイスロードの皆、ありがとうございました。

 

怒涛の数ヶ月

2024/12/24

ソーシャルフットサル佐賀県代表の勇士。

福岡大学主催の大会に出ていました。

コミュニケーションとって、なかなかいいチームらしいですよ。

コミュ障の人たちですが、ここではバッチリです。

相変わらず、普段は陰キャのカイがアグレッシブなのはナイショです。 

川掃除もありました。

もはや、地域の強い味方と化しているみんな。

これまで迷惑をかけたこと、今現在も一人では生きられていないことを今できる形で恩返しいているようです。

地域の人たちに、ありがとうと言われるくすぐったさ。

でもそれに値する人であることを自覚しているといいのだが。

 

公園の草刈り。

作業所で獲得した技術を思う存分発揮していました。

段取りとか安全管理とか、僕の方が見習うところいっぱいでした。

時間がありません

2024/12/17

数ヶ月更新できないでいます。

助けて〜。

 

年末年始に時間取れれば更新したい。

できるか、できないか!?

だれのこと

2024/09/26

親子で面談に来た。

 

本人はギャンブルによる借金で自死も考えたことがある状態だった。

もうどうしようもない状態だった。

 

本人と一緒に金の算段を考えた。

結局、闇金から金を借りてボーナスまで食い繋ぐしか方法はなかった。

勧めないし、本人もそれはやりたくないと言った。

 

今すぐ会社を辞めて治療しよう、社長に話そう僕も手伝うと言った。

 

母は、それはあまりに急すぎるといった。

 

僕は、なぜそう思うのか問うた。

会社や社長に迷惑をかけると言った。

 

本人と一緒にどうやって生活するかを考えた。闇金の他に方法がないという決断に至った。でもそれは、したくないと本人は決めた。

 

会社の社長には迷惑をかける、本当に迷惑だ。でも今、母は誰のための話をしているのか聞いた。

 

母は黙った。

 

僕は本人の生きるか死ぬかを考えて話をしているのに、なぜあなたは体裁を考えるのか?

 

 

 

そんな暑苦しいやり取りも、現場では起こる。

 

でも僕は譲れない、命懸けだからだ。

知られていない事だけども、ギャンブル依存症は生きるか死ぬかなんだ。

 

そんな、ダサい体裁なんかさっさと捨ててしまって自身のやるべきことをやろう。

そう、これは彼の問題なんだ。

 

 

いただいた手製のプリンはカラメルも含めて美味しかった。

じぶんのこと

2024/08/30

僕はコントロールできないことがとても怖い。

だから、飛行機も、MRIも、ロープウェイもだめ。

 

この感覚のお陰で日常生活に支障をきたすこともある。家族や友人と企画した旅行が限定されたり、仕事で遠出する時に人より時間がかかったり。

 

とは言え、慣れてくるとやはり自分本位なのだが、その時間を使って別のことができるようになるとか有意義なところもある。

総じて、人に迷惑をかけてはいけないと言う、もはや念に近いものが僕を支配している。

 

そんな僕を解放してくれるのは、ギャンブラーとの付き合い。

この、何でも自分でと言う支配的な感覚は全く通用しないし、彼らこそ自身のその問題に取り組んでいるから、流れに身を任せて委ねてみることや、まあ何とかなるやって言う諦めみたいな事がかえって物事が好転するし、生きていく上では大切なことを彼らは教えてくれる。

 

前置きが長くなってしまったけど、今日カミさんとの話の中で自分で筋肉を動かすことができない、いつか心臓も動かせなくなる病気を患ったらの話になった。確か、コップを掴み損ねて大量のお茶をこぼしたんだと思う。その時僕は、自分でこぼしたお茶を拭きながら自分で自分のことができなくなって他者に迷惑かけて生きていくのは辛いし少しづつ苦しむのは嫌だから、家族でスイスに行ってみんなにありがとうといって安楽死すると言う話をした。

 

うんうんと聞いてくれていた彼女から、私が同じ病気になったらそうして欲しいと思うか?と聞かれた。

 

ハッとした。

そう思わないからだ。

責任とは、相手あってのことで自分本位で決めることではない。

 

山田のレベルが1上がった。

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