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自立

2022/03/24

ちょっと前に、どこかの元刑務所長が『自立』とは1人で生きていくことではない、そのために人の手を借りることだと言っていたのをたまたま聞いた。

 

僕はこの話を聞いてからというもの、このフレーズが必要な人には一語一句間違えないよう必ず伝えるようにしている。

必要な人にはと言ったが、自立という言葉を使うほとんどの人が前者の意味で使っているので、僕はほとんどの人に伝える事になる。

 

ああ、正しく言っておかないといけない。

人の手と人のカネは、全く別物。

ギャンブラーは人の手を借りられないものだから、カネを欲しがる。ギャンブラーの名誉のために?一応言っておくと、いつもギャンブルの軍資金として金を必要としているのかと言えば、必ずそうでもない。ようは人の手を借りられないのだ。

 

病的なギャンブラーは人の手が必要だったのに、カネを欲しがって人がいなくなる。そして気がつけば孤独となっている。運良く人の手で施設に繋がることが出来た人はそこで仲間を得る。施設はずっといる場所ではないので、いつか出ていく。その時、自立と孤独を近似値で考える人が多い。施設に繋がった道を逆に行けば同じ結果になるのは自明で、孤独の結果は病的なギャンブラー。

 

つまり出る時は人の手を借りられるようになればいいのだ。

仲間がいればいい。

理解ある支援者がいればいい。

 

支援者と言えば、医療従事者を想像する人が多いが行政の担当者なんかも支援者だ。愚痴っぽくなるので行政批判は控えめにしておくけど、行政担当者の対応は本人の社会復帰や社会参加に大きく影響する。彼らの対応や一語一句は、本人にとってみれば社会の代弁者のように映る。お願い、理解してとまでは言わない。嘘でもいいから彼らを応援する姿勢をみせて。それだけで彼ら自身が社会に戻る権利を勝手に獲得できる。

 

そうそう!

先日感激した行政担当者の対応について最後に。

 

施設入所者が治療期間を終えて、就労プログラムへ移行した本人への担当者からのお手紙。給与が安定してきて生活保護が切れるかきれないかの境界にある人への行政の対応。本人は生活保護が切れて本当にやっていけるか不安になっていた。

 

支援ってこういうことなんだろうな。

余計な事はしないけど、

やれる!がんばれ!なんかあったらちゃんと助けるから。

 

さて、僕の姿勢は大丈夫だろうか。。。

 

 

1piece

2022/02/02

ルフィーのゴムゴムのみの覚醒がそろそろ見たいねとか、

ギア5はどんな感じだろうとか、

僕は青雉が好きだから、彼の動向がどうなっているのだろうとか、

そういう週刊少年ジャンプONEPIECEの話ではない。

 

1PIECEです。

ギャンブルからの回復やリハビリといったことを考えるときに、

多様性があって、それこそ人それぞれといったことになるのだが、

COBYPLANは回復できた人たちの体験や考え方だけにとらわれることなく、

その人にとって何が?と言ったプランを考えることも大事にしている。

これはいうまでもない事だけど、その体験を否定するものでもない。

 

施設入所者は決まって目安が欲しいもので、いつまでに何ができればどうなるのかといった答えを欲しがる。

1ヶ月問題なければ生活費の残金を確認されなくて済むとか、3ヶ月経てば一人で行動ができるようになるとか、1年やらずに済んだら仕事に就けるとか様々。

正直こういうのはクソの役にも立たない。

ある程度その辺りの判断は職員に任せているところもあるので、僕の意図しないところでそういった目安が自然発生的に生まれていることもあり、おや?と思う時もある。

直接僕に直談判してくる利用者に関しては、職員にどう思う?と聞いて責任を委譲することもある。

 

そうは言うものの目安を作ることもある。その人に必要なものであるのであれば。

中身はもちろん人によって違う。

 

脱線したが本題に戻ろう。

ピースのリハビリがようやく始まった。昨年4月に来た彼の回復が始まった。

この間何をしていたのか、施設の役割を全うしていないではないかと思う方もいるだろう。しかしそうでもないのだ。施設に入ったはいいが、最後の1PIECEが揃わないと完成しないパズルのように、なんとなく遠目に見れば同じ作品でも、よって見れば足りないPIECEに目が行き不完全なものとなる。遠目でいいじゃないか、いやそうじゃない。かといって完璧を目指しているわけでもない。ただ大事なことではあるのだ。僕たちには、そのタイミングをコントロールしないで待つことが必要な時もある。自分で気がついて拾ってはめるだけなのだ。

 

ピースには、万能な母がいた。

なんでも叶えてくれる母で、愛に満ち溢れた人。

ただし、与えすぎて自身もボロボロになっていて、欲しがるPIECEもボロボロになっていた。

この不健康な絆との付き合いが入所後もしばらく続いたのだ。ギリギリのところで全てを叶えるということをしなかった母の判断を、今となってはリスペクトするが、正直ギリギリのところだった。

 

 

仕事を探して就職し、仕事につけたら回復だと言い張る彼に生活費の全てを託し、就職活動の時間を与えた。

3日後に、ギャンブルでお金を使い果たした彼からのやり直したいという懇願を持ってリセットされた。

ようやく頼るべきは家族ではないと諦めがついた。

行ったり来たりはするだろうけど、それでいい。

今日から始めよう。

 

すっからかんの彼を救ったのは、施設に届いた献品と仲間同士でのもののやり取りをしないというルールを冒してまでタバコや食べ物を与えてくれた仲間たちだったことを覚えていてほしい。スタッフの目を掻い潜り、リスクをとってくれた仲間たち。

 

ま、僕は知ってるけど不問。ルールより大事なものもある。

依存症セミナー、体験談発表

2022/01/16

ある人は細やかな家庭が欲しかった。

でも目の前で、ある理由をもとに崩れ落ちたと言った。

 

またある人は、それまで大事な妻と仲良く過ごしていた。ところが子供が生まれて夫婦の関係性が変わったと言った。

 

そして、どちらもギャンブルの理由づけでしかなく、

自分の問題だったと振り返った。

 

依存の根底には孤独がつきもので、僕ら一見健康そうな人達でも同じ事を経験しているはずなのに、何事もなかったように誤魔化し生活している。

 

日本の社会の事をどうこう言う立場にはないけど、

彼らはいつも僕に、生き方を再定義してくれる。

 

彼らが口を揃えて言うのは、施設での生活は仲間が支えてくれる。

孤独と対称の言葉だ。

 

今日のセミナーのテーマ、どうしたらやめさせられるのか?

一つの解は仲間だし、裏の解はやめさせることは他人にはできないという事。

 

今日話してくれたみんな。大事な話を聞かせてくれてありがとう。

お風呂タイム

2021/12/17

体や身だしなみを綺麗に出来ないって理由はそれぞれで、

一緒にやってみると分かることも多い。

※許可をもらって撮影してます。入浴前のカツ先輩とポマード

 

例えば今日のカツ先輩は、毎朝髪の状態をみて声かけをする。

大抵夜勤明けのそれのような、ポマードでスタイルングしてるかのようなペタつき。

 

いよいよ声かけだけでは困難なようなので、

一緒にぽかぽか温泉に行く。

 

察しのいい人はこの辺りで、体洗うのに結構時間かかる人なんでしょ?ってもうお分かりかもしれないけど、実際はその予想をはるかに超えていく。

 

例えばカツ先輩は、玄関から入って先払いの料金を払うところから大変な苦労。靴をどこに安全に、綺麗に仕舞うかと言うことで苦労し、券売機のお釣りが合っているかを確認するのにまた苦労、窓口で帰ってきた領収書の文字が小さすぎるから読めるようにしてくれないかとやり直しをお願いすることに、またもう一苦労。

 

ふぅ。

 

さあ、カツ先輩はようやく第一コーナーを回って脱衣所に。

服はただ脱げばいいだけ、と思うがそうもいかない。

これだけ周到な人なので、服についた紐やベルト、ボタンなんかを全て丁寧にきつくしめられていて、外すのにまた一苦労。

 

僕なんかはその辺、適当というかいい塩梅にするのになぁとか思いつつも、カツ先輩が紐をはずす順番を間違ってやり直してもいいか?と僕に笑いかけるので、一緒に大笑いしながら楽しんだ。

 

第二コーナーを回って浴室へ。

カツ先輩はかけ湯で一苦労、体を洗うのに大変苦労、サウナは秒、入浴は幸せそうに楽しんでいた。

 

第三コーナー、もちろん風呂を出る時のかけ湯、体を拭き取るのにまた苦労されておりました。

 

残るはゴールまでの直線なので、僕は先に着替えて待合室へ戻り、

あー、人によって大変な事はやっぱり違うんだなぁ。人の行動は全て意味があるって習ったもんなぁ。知ることから始めないとなぁ。とか水分摂取しながらふけっていると、カツ先輩が戻ってきた。

 

 

しかし、なんか様子が変。

 

カツ先輩は、着替えを持ってきておらず来た時のそのままの格好で出てこられました。吉本新喜劇の誰ががボケたときの、ズコーってなるあれ、みんなで一斉に転ぶあれ。そんな状況でぽかぽか温泉を後にしました。

 

※出ていく直前のカツ先輩と着替えない服と試食みかん

試食用のみかんを3個持って帰ろうとしたので、流石に一つにするよう言ったらその場で食べて帰りました。

ギャマノン

2021/11/04

ギャンブルや借金の相談を受けた方で、ご家族と会うことや話すことができた人には必ずお願いしていること。

家族の会やギャマノンに出席してほしいということ。

これはちょくちょくここでもお話ししていることなのだけど。

 

なぜかって話。

まず持って、その家族が幸せになるための手段である。

そしてここからは、こちらの都合。

ギャンブラー本人の回復の手助けになっているということ。多くの場合、ギャマノン行ったらギャンブラーのことは忘れて家族自身が幸せになりましょう。ほっといていいのよ〜。となるわけです。行き始めたばかりの状況ではそれがとても難しいかもしれない。

でも結果だけ見てみると、家族がギャマノンに繋がっている人の方がギャンブラーの回復率が高い。これが事実。ここで僕が理屈を並べてもあまり意味がないので、ぜひ参加されることをお勧めします。

 

家族の対応でさすだなぁと思うことがあったのだけど、まだ進行中なのでまたそのうち書こうかな。

覚えてたら。

 

最後に、1冊の本を紹介して締めよう。

家族に読んでほしい、ギャンブラーの家族のための本。

今なら相談料無料です!!

2021/10/29

なんてダサい、でもちょっとキャッチーな営業活動は行いません。

でも相談料はいりません。求めません。

 

なんでかって理由は簡単。

その昔、僕の父がギャンブル馬鹿って呼ばれていた頃に、意志の弱いダメな人間だと呼ばれていた頃に、

彼が困っていたのと同じように、母が、そして僕たち兄弟が困っていたときに、相談するところがあればいいなと思っていたから。

 

まず相談する場所がわからないところから始まって、場所が見つかっても費用負担が発生するなら、

困った人の一部しか相談できない。

もちろん、経済的に自立していない立場の方が相談できない。

それは相談する場所としては片手落ち。

門戸は広く、選択肢は多い。これが大事なことかなと思っているので、どうしても公的な場所だけでは難しい。僕が今取り組みたい一つの活動は誰でも相談できる場所の設置。特に子供達が親のことで困っていることを拾ってあげられないだろうかと思っている。ちょっと脱線してしまったけど、これは私的な行いであって誰かに強要するべきことではないことを言っておこう。

何も相談支援を費用とってやられているところを否定するものではない。

僕はライフワークの部分も大きいので、ただの私的な行い。

たとえば職員から相談料が必要です!って話が来たら、相談相手に納得してもらえればいいのでは?と返すつもりでいる。

 

それから、僕が相談料を取らない理由はもう一つあって、

言いたいことを言えなくなるからっていうもの。

今風にいうと、ポジショントークが必要になってしまう。

例えば、両親とその子(ギャンブラー)が相談に来たとする。

大抵ギャンブラー本人は借金抱えていて、親に相談に行くぞって連れてこられる。

そんな中、相談料取ってたら誰がそのお金払う?ほとんどの場合、親。すると、これは僕だけかもしれないけど親のために発言をしないといけなくなる。否、発言をしたくなる。

これは本望ではない。場合によっては家族自身にやっていただきたいこと、本人にやっていただきたいこと、それぞれあるわけで、変化には大抵痛みが伴う。

相談に来られた方各々が、将来的に幸せになるためのことであれば、僕はいつでも死神になる。嫌なことも言おう。

 

そのために、僕の場合は金銭の授受が邪魔なのだ。

 

 

※少し過激なお話かもしれないけど、実際は優しいおじさんです。気軽にご連絡くださいませ♪

 

エイサー

2021/10/23

もちろん全員とはいかない。

cobyplanの一部のメンバーが沖縄の伝統芸能エイサーを始めて、アルコールや薬物依存のリハビリ施設ダルク、そして地域の方々と共にお祭りで披露した。踊りや演奏って言うのは表現だから、衣食住の安全が担保された次のステップの人間の本能的な欲求だと思っております。

施設に繋がった当初は、何から手をつけたらいいのか分からない。お金と人間関係がズタボロで生きていくのが困難になった人たちが、とりあえずは元気になった事を嬉しく思う。

もちろん、注意深くみてみれば問題は山積み。

しかし、これでいい。

この当たり前のような基本的な欲求そのものが満たされず、社会でチャレンジすることなんて困難だ。

 

演技が終わった後の彼らの笑顔、気持ちの高揚、満足そうな立ち振る舞い。

施設に来た時のそれとは全く逆のもの。

 

。。。。顔出しできないのが残念。

 

 

ギリギリセーフ

2021/09/30

辛かった。

苦しかった。

忙しすぎて息する暇がなかった9月。

 

何とか滑り込みの更新。

 

 

忙しさに感けて探偵に激写された1枚がこれ。

 

夜8時ごろ、年頃の若い女性の肩を抱く中年の男性。

空のネオンは駐車場のものであって、いかがわしい夜の街のものではありません。

実は今月43歳の誕生日を迎え、家族に祝ってもらった帰り道、あまりに成熟した女性の格好を次女がしていたもんだから、長女に言って撮影してもらった一枚。

先輩方に怒られてしまいそうだが、子供の様子を見て老いを感じた誕生日だった。

 

 

それで9月がどういう感じだったかというと、cobyplanとしては激変の月となった。

まずもって、次のステージまたは集団生活が困難な病的ギャンブラーのためのアパートを一棟用意した。当然、役所、消防等各関係機関との打合せから手続きに至るまで様々なやりとりが必要になる。

 

次に、嬉しいことに回復して次のステップに進んだ人達が数名でた。1人はT、ブログにも何度か出て来た彼が一年のリハビリを経て、家族に埋め合わせをし、就労プログラムに移行した。

バイトが決まった時に、一緒に喜んでハイタッチした時の彼の表情を見たことがある人、どれくらいいるだろう。それくらいいい顔してた。

 

もう1人はY。一年のクリーンタイムの後、再発し同じ場所で1からやり直すという大変な作業を経て、長年決断出来なかった問題に一旦ケリをつけ、連携しているDの施設で就職が決まった。

 

T2に関しては、プログラムも進み同じギャンブラーの手助けをするべく、cobyplanでの職員研修となった。

 

僕は施設の利用者が、良くなっていく様を見るのは本当に嬉しい。昨日、1年間辞め続けているRのお祝い会でも本人に話したこと、自分自身の力だけではなく、見えない何かしらの力が働いて今の自分が存在する。その事を見せてくれるみんなには感謝しかない。

 

 

解決策はある、希望もある。

今どこかで困っている病的ギャンブラーの方に是非知ってもらいたい。

 

 

ここのところ、ギャンブル相談がとても多い。

他県からの相談も、県内も。

そして大抵深刻な状況。

 

 

本人にとって、今やらないといけない事、その方法がうまくいきますように。もし困難だったらご連絡を。

そしたら何とかなります、大抵は。

そんなところで。

 

 

 

 

※相手してくれないからふて寝するピース。

キャンプ

2021/08/12

キャンプ、行ってきました。

釣りアディクトになる人。

疲れて寝てたけど、BBQの時だけ起きてフードファイトする人。

みんなと同じところに寝ることが出来ずに、炊事場で寝てる人。

過去のトラブルをぎこちなく解決する人。

 

色んな出来事がありましたが、楽しく過ごしました。

それみたことか

2021/08/02

全くのプライベートなこと。

 

僕はギャンブラーの家族という立場で生きてきたクセが未だに抜けなくて、時々苦しくなってしまう。

 

それはギャンブラーと向き合っているとき、起こるものではない。

大抵子供といる時。

不思議なことに、妻に対してはほぼ起こらず、ギャンブラーに対してもおそらくない。あくまで自覚という意味で。

 

どんなクセかというと、

それみたことか。

やっぱりそうなったでしょ。

だから言ったじゃないか。

って言う得意の先見の明的なやつ。

 

これって言う方はすごく気もちが良くなるやつで、他の何者でもないただの山田が、あなたの事はなんでもわかってる、だから言うことを聞きなさいっていう含みをもたせた得意の言い回し、考え。

 

当然そんなやりとりで相手の行動が自分の思い通りになる事はないし、むしろ不健康な関係性になる事を想像する事は難しくない。実際そうであったし。

 

僕はそれでも、特に子供との関係でそれを繰り返しそうになる。本当はそんなんで作る関係を求めていないのに。

僕はそれを勝手に血縁の鎖(くさり)と呼んでるのだけど、なかなか断ち切れない。ダメだと思っているのに。

 

先日もそう。年頃の長女がボーイフレンドと初めて遊びに行くと言う話を次女に聞いた。絶対やめとけ、何があるがわからないからって言いたかったのだけど、友人に嗜められたことを思い出し、本人には、わざわざそんな都会まで遊びに行かずにこの町で遊んだら良いじゃん。危ないよとだけ伝えた。当然そんなオヤジの話聞くわけもない。妻には何を心配してるの?と聞かれ、よくわからないけど心配じゃないの?ともう質問に質問で答えるくらい余裕がない。あなたもそういう時代があったでしょと言われ、俺はほら、自分の事はよくわかったから心配なんかないとかよく分からない自分勝手な返答をしたり。

 

結局僕は、娘のデートのその日、何かあったらいつでも動けるようにその街でブラブラしておこうかなとかいう危ない行動をなんとか自制して、でも居ても立っても居られないから不必要な関係機関や役所とのやりとりやをして、そのやりとりに腹を立ててみたりして過ごしていた。

 

さて、時が過ぎ、帰る予定時刻の10分前に妻からの電話。当然妻はいつも通り僕の隣でタブレットを使ったゲームに熱中している。

念のために妻が携帯電話を持たせていたのは知っていたのですぐに娘からの電話だとわかった。(我が家は携帯電話を持たせないルール)

恐る恐る電話に出てみると、心拍数が一気に3倍に跳ね上がったのがわかった。15歳の娘が電話越しに泣いているのだ。理由なんか聞かなくてよかったし、頭の中が真っ白になるのがわかった。だから言ったじゃないか。それみたことか。当然僕の頭の中はその考えで一杯になる。

 

結局は僕が言葉にならずに恐れていたことではなく、この日初めて乗った電車で降りる駅を乗り過ごしてしまったらしく、本人の知らない駅まで行ってしまったので怖くなってしまい、どうしたら良いかわからなくなっていただけだった。

 

こういう時に、まず僕がどうなるのかといえば、それみたことかという思いに駆られ、僕が思う通りに行動しなかったことを責め立て、怒りをぶつける。この場合でいえば、彼女は困っていて怖くて悲しんでいるのにだ。

本当は心配で仕方がないくせに、出た言葉は自分で何とかしなさい。

まだそんな事を娘との間ではやってしまう。

 

結局その後一旦電話を切り、電車の時間を調べて、手段を伝え自力で帰宅させた。(本当は彼女が降りた駅まで車で40分くらいなので迎えに行こうという気持ちを自制して)

 

とはいえ、夜9時過ぎ。妻が大丈夫、駅からは自転車で帰るわよという言葉を無視して自転車で迎えに行った。その時間、自転車置き場が閉まっていたため、僕が乗って行った自転車に2人で乗って帰る事に。40代のおじさんは自転車の後ろに中学女子をのせ、安堵の顔とは裏腹に、プルプル震える大腿四頭筋に鞭を打ち帰宅。

今日遊んだボーイフレンドに勝った!なんて低次元の思いまでは抱かなかったことがせめてもの救い。

 

とまあ、相手が自分の血縁となるとこの程度で。

染み付いた考えや行動を修正する難しさ、またそれが反射的に起こるのでやめたいのにやめられない苦しさ。

 

ああ、ああ…。

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