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父の選択

2025/10/23

抗がん剤治療を続けていた父が、副作用の辛さに耐えられず治療をやめる選択をしてから5ヶ月がたった。体は元気で、調子も良い。

 

しかし癌はどんどん広がり大きくなる。

発見された時にはすでに大腸から肺、肝臓と転移のある状態だったので手術の適応ではなかった。

体の調子はいいのに、最近咳が止まらないことや、なんともいえない体の痛みが時々あるとの事だ。

 

一年半前に父は、何を思ったのか病気の告知は僕から聞きたいとの事だった。悪いものであることは悟っていたのだろう。僕が子供の頃、父に頼ることは許されなかったので、立場が逆転した今ついつい頼るんじゃないよ、甘えるなという気持ちが瞬間的に生まれる。もちろん我に帰り、彼の望み通り医者から聞いた事をできる限り丁寧な言葉で伝えた。

 

あの時僕は、そう、言葉を選ばずに言えば父に死の宣告をしたのだ。

 

さて今回、家族会議が行われた。

その内容は一時中断している抗がん剤の再開を勧める医者に。NOを伝えるためのものだった。伝えた後、主治医はそれを受け入れこれからの父の体の見立てを話してくれた。

 

僕は今くらい元気な体でどれくらい生活できそうなのか聞いてみた。

 

主治医は1年と教えてくれた。

 

診察室を後にして父と母は僕にありがとうと言っていたが、死神役の僕に何の感謝を伝えていたのかいまだにわからない。

 

 

 

あれから何週間かたつ。

紹介したがん患者の会は、行かないことを父は選択した。実は少し腹が立った。おそらく僕は当事者の会に繋いで自分のやるべきことは全てやったと納得したいんだろう。そう言う形で死にいく父を受け入れたいのかもしれない。

そんな父の体は今のところ問題なく、一方変化も見られる。

新しい夫婦の関係を築いているようだ。

「隣に来て座っとけ」と母に言い、いっときも離れない。

 

 

僕は無力を確認する。あの時も、今でも。

山○よしのり

2025/09/26

佐賀県知事は山口祥義(やまぐちよしのり)。

COBYPLANは山田義則(やまだよしのり)。

 

友人には一文字違うだけ、と言ってきましたが実はそうではなかった。

かなにしても、漢字にしても中身にしても似て非なる。

ギャンブル問題に関わる知事の視座は専門家ではないのに驚くものであった。物事を常に別方向からも考えようとする姿勢とか奥も身につけたいと思った。そしてこれからは一文字違いなんて見栄を張るのはやめようと思った。

 

そう、プレスリリースされておりましたが山口知事がCOBYPLANの視察に来てくれた。

ギャンブル依存症について思うところを共有させていただいた。

 

 

にしても、知事が動くとなるとこんなにも多くの大人が動くことに驚いた。

写真は、さが3150(佐賀最高)ポーズ。コツは拳を突き上げるではなく引くらしい。。。

 

母の選択

2025/08/23

そんなに親にコントロールされていると思うのなら、

生活保護を受けよう。

仕事をしていい。

お金が貯まれば施設をでて一人で生活していい。

 

僕が貝に言った言葉だ。

 

生活保護の件は、お母さんに何度か提案したことだったが何となく断られた。母と話をする中で、母から貝への埋め合わせの意味であったことを聞く。親には親の気持ちがある。ただ今回は、僕の方から母にお願いをした。貝にとって入所費用の家族負担は、家族からのコントロール以外の何者でもないと感じている。

母はスポンサーさんと話をして、やめる選択をしてくれた。

 

そして母は今月、自身の埋め合わせのために来佐してくれた。

その姿を見て、母の期待に応えたくなるのは僕も家族だからだと思う。

その思いをグッと堪えて、ありのまま面会してもらった。中学生男子と母親に見えたからこそ、母から子への謝罪の意味と母の思いを想像する。

 

 

貝は何を思ったか、知らない。

ただ今でも繰り返し言う。

仕事をして、自立していい。

 

貝は文句を言いながら今日も施設でプログラムを受けている。

任意にします

2025/07/01

施設の役割の一つとして、自助グループ参加を習慣づける。

というものがある。

 

これは、施設を退所して社会復帰した後も通い続けるということが依存症からの回復に必要なものであると信じているからこそ施設の目的一丁目一番地となっている。

 

COBYPLANができて、良くも悪くも自助グループへの影響が出ているというのが外野から見てきた僕の感想。

最近は特に、その悪い影響が目につくようになった。

 

確かに、佐賀県内の自助グループの数が増えた。施設の利用者は、毎日自助グループに参加することをいわばプログラムとして義務付けていたので当然毎日参加する。施設の利用者が増えていくのと同時に、会場の数は自然と増えていった。これは喜ばしいことだ。地域で生活している方のギャンブルの危機に行く場所が増えたのだから。本当に困った人が、困った時に行ける場所があることは大事なことだ。今日は何曜日だから空いている会場がない。そんなの地獄絵図でしかない。現在佐賀では、毎日どこかのミーティング場が空いている。

 

しかし、これはいいことばかりではない。

自助グループ自体が、施設の延長になるという問題が起こり始めた。地域の人たちが集まる自助グループが、施設のカラーが強すぎて安心できない環境になっていた。言葉を選ばずに言おう。施設の人にとっては毎日行っているミーティングであっても、地域から来た人にとってミーティングはもっと命懸けなんだ。施設入所者から時々出てくる言葉。自助グループは行きたくない。ミーティングはもうお腹いっぱい。

 

 

これは施設を運営する立場からすると非常に大きな問題だ。

いずれ巣立つ施設のギャンブル依存症者の安心できる場所がなくなるということでもあるからだ。

 

地域でなんとか立て直そうと頑張っているギャンブル依存症の方、自助グループの雰囲気を壊してしまって申し訳ない。

施設で強制的に行かされていると感じていたギャンブル依存症の方、自助グループの大切さとその意義について説明が足りなかったこと、申し訳ない。

 

 

職員間で協議し、自助グループへの参加を任意とした。

各々が自分ごととして考えてもらうことにした。

 

 

惹きつける魅力のある自助グループを探してほしい。

もし、自助グループのメンバーになるのであれば、新しい仲間たちがどうしたら繋がってくるのか、またその仲間をどうしたら助けられるのかぜひ考えられるようになってほしい。

命懸けのドライブ

2025/06/28

4月から職員になった土。

数年前に関西から来た彼は、その日の夜の自助グループで大雨の中僕を呼び出し、

「仕事頑張るから大丈夫です。施設でますね。」「そっか、頑張れ。」みたいなやりとりをしたことを覚えている。

結局1〜2週間頑張ってみたが、結局は退所した。

北九州あたりの警察で保護され、度々呼び出される電話のせいでギャンブル依存症問題を考える会の田中紀子氏のシンポジウムを何度も出たり入ったりしたんじゃなかったかな。

なんの因果か、土は田中氏からご紹介いただいたケースだった。

 

次に彼と会うのは数日後で海外用のどでかいキャリーケースを両手で持って現れた。「そのケースはコロコロタイヤを転がしながら荷物を運ぶことができるんだよ。」と冗談を言ってみたが、そのコロコロが長時間の運行により粉砕していることはすぐにわかっていた。

そんな大きな荷物を運んでいる姿を見た農家のおじさんが土に駅まで送ろうかと声をかけてくれたようだ。軽トラで通り過ぎた後に、わざわざUターンして戻り声をかけ、数百円渡す気持ちが良くわかる。

 

彼のパッションは、人を動かす。

当時はギャンブルをするために、

そして今はギャンブルがやめられない仲間のために。

 

彼は4月から職員になった。

しかし大きな問題があった。佐賀は車が必要だ。

車の免許を昔持っていたようだが、今はなかった。

土の尊厳のため、理由は聞かないことにしたがおそらく彼のパッションのせいで免許証が焼けこげてしまったのだろう。

 

彼の努力もあって免許証が戻ってきた。Y川区の保護課のご担当者には本当に感謝の気持ちしかない。会社で負担しようと思っていた自動車学校の費用を保護課が見てくれたのだ。

 

だからこそ、もっと謙虚に。

初心者だからではなく、ハンドルは両手で持て。

自分の車は誰かに預けて免許取り立ての土に、意味もなく家まで送ってもらう。

 

命懸けだが、嬉しかった。

実験をします

2025/05/22

施設に繋がってくるボロボロのギャンブラーと会うたびに思う。生きていて良かった、何とかなるという思い。同時に湧き上がる、こうなる前にどうしてという思い。

そして僕らは自己否認するかのように、一次予防や二次予防の大切さに回帰する。

つまりこういう事だ。

一次予防や二次予防で100%の効果があれば、施設につながらなければならない状態の三次予防の必然性は存在しないという事。

 

さて各自治体では、行政主導で依存症対策ほにゃらら会議みたいなものが開かれているのをご存知だろうか。

もちろん行政主導の依存症対策だから公益が求められるのだけど、方法論がアップデートされない。

特に最近の依存症への入り口は人から人へではなく子供でも扱うスマホからだ。

依存症発症の若年齢化はそれが原因とも考えられているし、僕自身の体感としてもここに異論はない。

 

にもかかわらず、予防のための冊子やポスターの制作を。そしてそれを配布する場所を改めようとのマイナーチェンジがその会議のテーマだ。

 

いやいや、そうではない。

ポスターが貼られている前ではなく、皆んなスマホのある下を見てるよ。見る場所に予防した方がいいと僕は思っている。

 

前置きが長くなったけど、行政のスピード感では追いつかない問題をパパッと実験できるのが民間だと思うので、今年度COBYPLANの予算にSNS対策を独自に盛り込むことにした。

 

この実験の目的と方法、期待する効果は以下。

目的:

より公益な対策は行政主導で行った方が費用対効果が高いのでお願いしたい。その実績作りとして実験を行う。

方法:

SNSを通じて、依存症対策のための窓口を開設する。

集客が目的ではないので、配置した窓口の相談者は対象者の状況に応じてしかるべき機関へ誘導する。

相談者にはどこからたどり着いたか確認する。

SNSのアクセス数を解析する。

これらSNSの運用から集計、報告書作成まで専門の業者へ外注。

一次予防や二次予防としての効果検証、外注費や人的労力を鑑み費用対効果を数値化したものを依存症対策ほにゃらら会議に提出。

期待する効果:

開設したSNSアカウントを介して相談窓口への相談件数が増加する。(なお、実験のために予算を続けられないのでSNSのアカウントは年度末で閉鎖)

来年度以降は行政主導で公益なものとして運用される。

以上

 

みなさん、よければフォロー拡散お願いします。

https://www.instagram.com/yamerarenai.fight?igsh=MWEwcW4xNjI5Nm4wbA==

 

 

波乗り時々サッカー

2025/04/01

例えばこう言う人もいる。

 

与えられるから受け取りたくない。

 

 

誰かに入院させられた。

誰かに施設に入れられた。

誰かに仕事を斡旋された。

 

 

こう言うのは施設の生活で、少しづつしてもらった事に変わっていくのだけど、こじれることがある。

 

施設にいても、誰かのコントロール下にあると感じている時だ。

 

 

だから僕は、その人の生きる力を信じてコントロールからの脱却を提案する。

 

最近、アルバイトを始めた彼も同様だ。

施設での取り組みを自分で稼いだお金でやってみたらどうだい?

いつまでも親にやらされてどうするんだよ。あなたの人生じゃないのか。

 

こんなやり取りで、仕事を探してきたKはそれこそ3日で辞めてきた。

 

辞めたいと相談に来た時、自分で決めていい。僕はあなたが決めたことを全面的に支持すると伝えた。一点だけ、親からの入所費用がなかったとしても同じ決断をするかは考えてみるよう付け加えた。

 

数日後、職場に辞めると伝えて帰ってきた。

 

周りの仲間たちの目が気になっているのかどうかは知らないけど、いつもと違う場所に座ってどうしたらいいのかわからなそうな顔をしているので、次はいい仕事に出会えるといいな、それとも本気出すために先に家族に入所費用の打ち切りを伝えるか?と冗談を交わした。

 

次はハローワーク経由ではなく仕事を探してみるようだ。

 

頑張れ。

 

 

人生の責任を自分で取るから、自分のサイズがわかる。

だから、誰に何を頼ったらいいのかわかる。

 

 

そんなモラトリアム脱却から始める人もいるが、その心理的葛藤は愛せる。この先どうなるのか、一緒にみてみたい。

 

親と子

2025/03/21

僕はギャンブル依存の父を見て生きてきた。

 

僕は第一子長男として生を受けたのだけど、

父がギャンブル依存症だという事は20代後半まで知らなかった。実際のところ、社会の中で認知されていない病気だったということはとても大きいのだが、NSとして働いていた頃に「患者」を通して父を知る。

 

ところで、子供ながらに僕は当時何を思っていたのだろうか。ギャンブルがやめられず、借金を作っては母とバチバチやっているその時に、どう生きていたのか振り返る機会が最近あった。

 

幼い子供を妻に任せて治療しているギャンブラーの、家族への埋め合わせについて考える機会があった。

まだ幼いからと子供達には隠して治療していたが、契機が訪れ子供達に事実を伝えたと妻から聞く。まだ指の数にも満たない子供が、話してくれてありがとうと母に言った。お父さんは生きていたんだ、良かったと言ったという。

 

僕はこの話がよくわかる。

家の中で隠されている事、それが家族のためであったととしても子供の僕は家族の一員である事を否定されているように感じていた。でも、その理由も僕らを傷つけないためにやっている事だろうから、触れてはいけないとも思っていた。だからこそ、何もなかったかのように毎日を過ごすよう心がけていたけど、実は毎日毎日が不安でいっぱいで、大人になればこれは解決すると信じ込んで、子供なのに大人のふりをした。いつも責められている、でも大好きな父の話をすれば母が悲しんだり不安になったりする。それをしたくないから父の話は母にはしなかった。結果、悩みを相談したり、誰かを頼るという事をしないのが大人の振る舞いだと勘違いするようになっていった。

僕はいまだに、この特徴が悪影響する時もあるのだが、この業界にいるとそんなのすべて見透かされてるから隠す必要もないことに気がつき、話すことができるようになった。これは同業者や専門家だけでなく、施設の利用者にも同様だ。彼らに起こったことは、僕自身が共感できるし彼らもまた受け入れてくれるという信頼感がある。なぜか?それは彼らが正直に自分の話をしてくれていると感じるからだ。

 

話を戻そう。

僕は子供だったけど、何が起こっているのか知っていた。ところが話してくれないから知らないふりをした。僕が欲しかったのは、信頼してもらえているという絶対的な安心感だった。

子が母に、話してくれてありがとうだなんてなかなか言えない。ちゃんと子供たちは育っているし、これまでの親子関係の賜物だ。話してくれたこともそうだけど、信頼してくれたことが嬉しかったんだろうなと勝手に想像を膨らます。

 

僕はこの話を共有したくて、自宅に帰って妻に話をした。今は僕にも、絶対的安心感の場所がある。妻は、うん子供はちゃんとわかってるよねと話を聞いてくれた。

 

会ったことのない、誰かの家族の話に自分を投影して涙する。まだまだ未熟者、だけどもそれが僕。

相談しましょう

2025/02/12

うまくいかない人を見たとき、相談するのが苦手だから相談しようと声をかける。

支援者がよく使う言葉だ。

 

相談が成立する時、

支援者は頼られていると勘違いするので相談内容のすべてを解決しようとする。これが所謂余計なお世話というやつだ。余計なお世話はあえてする時もあるけど、基本的に必要ない。こういった話をすると、無関心に全振りする人もいるが無関心と、余計なことをしないは全く別物だ。無関心ほど役に立たないものはない。

こと人は責任を怖がる。

 

当然相談者も怖いわけで、責任の取り扱いが相談の基礎となっているのは言うまでもない。

 

ふーん

2025/01/24

仕事も出来るし、ギャンブルの問題も解決した。

施設を出て1人で生きていける状態だ。

これが退所時の彼の話。

 

それでは、と送り出した数日後にギャンブラーの保護課の担当者から電話。

 

退所時にあったそれなりのお金を使い果たし、現在は解体屋で日払いの仕事をしている。会社に前借りしている状況で生活が回らならなくなっている。施設に戻ったほうが良いと伝えている。

 

本人のやる気があるのであればどうぞ。

 

改めて連絡が来る。

 

ギャンブラー本人から3つの条件を確認する様言われている。

 

一応聞く。

 

答えは本人は知っていること。

うまくいかなかった。施設に戻るけど自由にやらせてくれとその程度の話。

 

施設はギャンブラーにお願いして、いてもらう場所ではない。

 

 

僕にも出来ないことはある。

助けは求められる様になった方がいい。

でも利用したり、コントロールしてはいけない。

 

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