COBYPLAN

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連載13人目!

2023/11/15

13人目に突入。

今日は亀吉です。1年以上様々な関係機関と調整をしてきて入所されたかたです。

ギャンブルの問題以外に事故で障害が残ってしまい、文字を書くことが困難ですが頑張って書いてくれました。どのような形でギャンブル問題を解決していくのか、そして社会参加していくのか一緒に模索しています。プログラムやミーティングだけでは解決できない問題を一緒に考えているところです。

加筆修正することなく、転記します。

 

亀吉です。

とりまですね、ほんとうにさ、ここに来てさまだですね、一ヶ月とさ、三日位しかさまだですね時間がさ立って無いんですけどね。

とりまですね、本当にさ、マジでさ、何てさ言えばさ、良いんですかね。

ただですね間違いなくさ言える事がさ、本当にさマジでさ、ここにさ繋がってさマジで母親に感謝のさ気持ちしかないですね。

以上ですかね。

本当にさマジでさ。

 

 

ともに。

連載12人目!

2023/11/08

今回は、毎日同じ食事を摂って体型を維持しているヒデの登場です。水と火が怖くて、レクリェーションやプログラムでも一貫して避け続けています。年末来たのでそろそろ一年。

問題は共有していて、何かを変えようとしている。

 

もっと気楽に、

もっと人に頼れるようになれば、楽に生きていけるのに。

 

なんて簡単に言ってるけど委ねるって、実は結構難しいよな。

彼と付き合っているとそれを実感します。

委ねると言うのはある意味覚悟だし、楽になると言うの体験しないとわからない。

こんな時僕は、それが本当ならノーリスクなんだから賭けてみればいいのにと思ってしまう。

 

※写真を載せて無かったら、この写真を使ってくれと持ってきたので2023.11.10更新してます。

 

皆さん初めまして。ギャンブル依存症のヒデです。 私はコビープランにお世話になって10ヶ月が過ぎたところです。 私は過去3度ギャンブルに依存してしまい借金や他人・会社のお金に手を付けるなど、散々な事をしてきました。そして、自分の力ではどうにもならないと無力を認め、助けの手を差し伸べて下さったコビープランへの入所を決意しました。自分の病気でもあるギャンブル依存症はとても恐ろしい病気で、年月が経つにつれてどんどん悪化していきます。現在はそんな恐ろしい病気と向き合っているところです。 しかし、ただギャンブルを辞めていれば良いという問題でもなく、自分自身の性格上の欠点や取り組むべき課題などと日々戦いながら生活しております。 現在、仲間の人数がどんどん増えている事もあり、色々な人がいる中で自分自身の問題点がたくさん出てきます。そんな問題点が出る度に自問自答しながら回復に向けて一つ一つ課題をクリアしている状態です。 ですが、自分一人では解決できる問題ではないです。仲間の中で手本・参考になる仲間がいるので、同じ依存症という病気を持った仲間からも吸収する事がたくさんあります。 今後は、日々自分自身と向き合う事を忘れず、今まで迷惑を掛けてきた家族・恋人・友人に自分の出来る範囲で埋め合わせをしていきます。 まだまだ先は長いですが、この依存症という病気と常に向き合い、回復へと向かっていければと思っております。 長々と失礼致しました。 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

連載11人目!

2023/11/07

連載11人目です。

cobyplanのメンバーと言うか、OBというかそんな感じのユウダイです。彼と会ったのは2年半前かな。

初めは病気や特性にコントロールされまくっていて、勢いで施設を飛び出す事もあった。もちろん若いから勢いで何とかならないかなと本当に思った事もあったけど、最終的にはどうしていいかわからないから助けて欲しいと懇願し、施設の様々なプログラムを経て現在に至っている。

施設内のプログラムは終了したので退所し、地域で一人暮らしをしながら就労移行支援につながっている。週に一度のメンテナンスでデイケアに顔を出し、自助グループに参加をしながら就労目指して取り組んでいる。

 

実は知っている。

施設を出て、ホストでナンバー1になれなかったこと。

施設を出て、生きていくための金策で宝物の本を売ったが、タクシー代とギャンブルで目的地にさえ到着できなかったこと。

助けを求めた後は、苦手な事でも意欲的に取り組んでいたこと。

明日のことは、やっぱりわからないけど大きく成長し、人として信頼できるユウダイ。ではどうぞ。

 

初めまして、ユウダイです。

早いものでコビープランに入寮して3年になろうとしています。

繋がった当初は自分の状況も精神面もボロボロでどうにもならなかった事を覚えています。

たくさんの方の助けがあり、成長を促してくれる施設の仲間が周りにいてくれたおかげで、

厳しい毎日ではありましたが、なんとかここまでやってこれました。

前の自分と今の自分を比べると、落ち着きを得たり、考えが変わったりと

色々変化してると思います。

素直に繋がれてよかったと思います。

この場を持って、施設長、施設に繋げてくれた両親と病院の先生、

クリニックの先生、先行く仲間、仲間の方々、施設のスタッフ、エイサーチームの方々、

2年9ヶ月の施設生活で自分に関わってくれた全ての方々に向けて、

感謝の意を示したいと思います。どうも有り難う御座いました。

 

…かたいな。

ユウダイの優れているところは、文字では分からない。

悪ノリして、肛門ロケット花火や全裸大の字川飛び込みの写真を貼ろうか迷いましたが、こないだカミさんに時と場所を考えて生きるよう諭されたばかりなのでやめておきます。

 

連載10人目!

2023/11/03

トクスケは今日は休みなので、仲間たちと釣りに出かけています。

僕は結婚記念日なので休もうと思っていましたが、10人目の記事が送られてきました。

 

さて、今日はアスカです。

かれこれ1年の付き合いになります。遠方から助けを求めて佐賀に来られ、人生で初めてギャンブルの問題に取り組んでいます。理解が難しいかもしれませんが、安定した生活やトラブルのない生活に身を置くことが苦手で、無意識にリスクをとりに行く生活を送っていた様です。平凡な生活に慣れてきたこの頃。

どう変化していくか楽しみです。

 

初めまして、強迫的ギャンブラーのアスカと申します。

私は北の大地H海道から2022年9月に佐賀の土地に来ました。時の流れは早いもので、一年が過ぎました。

ギャンブルをヤメたくても自力では無理でしたので、初めて自ら助けて下さいとお願いをして、助けてもらいました。

今だに欲求が出て来て困ってますが、日々、仲間の中に居る事でなんとか止まっています。

自分は、1度でもギャンブルに手を出すと止らなくなるので、もう、やりたくないと思っていますが、、、

とにかく今は、今日一日やらないをモットーに日々の生活を送っています。

私の回復はまだ始まったばかりなので、一日一日を大切にしていきたいです。

 

 

連載9人目!

2023/11/01

企画者のトクスケは思った様に記事が集まらず、ストレスのため過食気味とのこと。

スタイルを気にしてダイエットしていたから、リバウンドだろうと思ったけど言わないことにした。食欲の秋だし。

 

さて、今日はウッチーです。

山梨遠征の時は運転手の僕の後ろでずっと起きていて話しかけてくれたり、みんなに面白い企画を提案してくれたり、どこかで回復に貪欲なところもあって、良いとこ一杯あるんだけど、それ以上にやらかしもある。そんなアンバランスなウッチー、どうぞ。

 

 

こんにちは、依存症のうっちです。

 施設で一番自由で一番迷惑をかけている人間ですが、少々のお時間お付き合い頂ければと思います。

15歳の冬に競馬を覚え18で上京し、20歳の誕生日の週にはサラ金から融資を受けました。もう8年前には依存症でした。

 大学では法学を専攻していましたが、国際海洋法や憲法など実学に乏しい学問を叩いていたからか、今でも大して役に立ちません(泣)

学生時代はアルバイト先では金銭の問題は起こしませんでしたが、私生活は散々なものでした。その後、順調には卒業せずやたら単位を取って、卒業しました。外資系の企業で一応マネジメントの仕事をしましたが私生活の金の問題で会社を退職。その後某インターネット関連の企業やベンチャーでフラフラする生活もしますが、すぐに終焉を迎えました。

 その頃には依存症の末期の症状でしたが否認の病の状態に陥っていました。その後は夜逃げの手伝い、夜職への金貸し(所謂闇金)などアングラな生活になり、知人とも疎遠になり、ちょうどその頃、障害者手帳を交付されてからは自分自身への強烈な劣等感と社会への恨みや妬みをギャンブルで発散させるようになり、何度も警察の面倒になるようになりました。全てがギャンブルで生活の全てがギャンブル中心になりました。

 実家を追い出されてからもそのようなことは続き、数度の自殺未遂と薬のオーバードーズなどで限界を迎え都内の精神病院に入院する事になりました。最初は保護室と呼ばれるトイレの扉も無い時間も分からない窓のない部屋に閉じ込められ、不安と孤独感を感じました。次に閉鎖病棟と呼ばれる病棟に移されましたが、1日1回看護師さんと外に散歩に連れて行ってもらい、少しの安堵感と売店などにも行けたので、ここで解毒をして生活を立て直そうと思い入院生活を送っていましたが、その後のカンファレンスで両親が自宅は引き払った事、施設に行くか一生入院をするか選べと言われ、絶望。その時リストカットを数回しました。精神病院に繋がってから底つきをしました。

 それから暫くすると別の病棟に移る事になり、今まで行けていた売店や散歩も行けなくなり、完全に2重扉の中の生活になりました。刑務所で懲役刑を科せられているのと同義の生活の中で生活費は底をつき洗濯も出来ず、精神が参ってしまい、死を覚悟しました。

 その後のカンファレンスの時に1年の入院か、九州の施設に繋がるか選べと主治医より選択を促され施設に入所をする事になるのですが、その時は何をするのかどうやって生活をするのかが分からず、不安感で寝れない日々が続きました。

 施設の職員がカンファレンスの1ヶ月後に私のことを迎えに来てもらい、桜が咲く前に入院し、退院した時は真夏の蝉の鳴く頃でした。佐賀に来る飛行機の中で、久々の外の世界を垣間見ることができ、感涙したことを今でも覚えています。

 佐賀空港から施設の寮に移動し寮で施設長に挨拶をして、少しの安堵感に包まれた私は4ヶ月間の入院でボサボサだった髪を整える為に散髪をさせて貰いました。その晩は拘禁反応?と呼ばれるもので一睡もできませんでした。

 生活に慣れた頃にはスリップ(依存行為の再発)が始まりました。去年の9月頃の話です。そこからは早いもので SIMカードを買いスマートフォンを手に入れ現金を湯水のように使いました。それが今年の2月まで続き、金が尽きて脱走しました。人間不信と自分自身に対する強烈な劣等感で放浪しました。

 自分の限界を認め、施設長に電話し東京の施設の職員に羽田まで送ってもらう際に12ステップについての話を伝えてくれました。一時間ほどの車内の会話でしたが、一番濃密な時間を過ごす事が出来ました。叶う事ならこの人にスポンサーをお願いしたい想いはその時から変わらずですが今でもお願いできずにいます。

 戻ってきてからは疎外感に苛まれる事があるのではないかなと思いましたが、そのようなことはなく施設の仲間もエイサーを教えてくださっている方も暖かく迎え入れて貰いました。暖かい気持ちに包まれる自分がいました。脱走するときもエイサーで出会った方が作ってくれた赤い太鼓のキーホルダーを握りしめて脱走した自分ですが、その集団にいる事が好きなんだなと実感しました。本当にその団体の方には感謝しています。

 その後も細かいやらかしは続きますが、周りの仲間の強力な支えとエイサーで出会った人との縁でしっかりと人としての道を歩んでいこうと思います。

 脱走後も受け入れてくれた施設長、戻る決心をさせてくれた赤い太鼓、そしていつも支えてくれる仲間に感謝を最後に綴り、筆を置きたいと思います。有り難う御座いました。

 

 

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