COBYPLAN

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連載12人目!

2023/11/08

今回は、毎日同じ食事を摂って体型を維持しているヒデの登場です。水と火が怖くて、レクリェーションやプログラムでも一貫して避け続けています。年末来たのでそろそろ一年。

問題は共有していて、何かを変えようとしている。

 

もっと気楽に、

もっと人に頼れるようになれば、楽に生きていけるのに。

 

なんて簡単に言ってるけど委ねるって、実は結構難しいよな。

彼と付き合っているとそれを実感します。

委ねると言うのはある意味覚悟だし、楽になると言うの体験しないとわからない。

こんな時僕は、それが本当ならノーリスクなんだから賭けてみればいいのにと思ってしまう。

 

※写真を載せて無かったら、この写真を使ってくれと持ってきたので2023.11.10更新してます。

 

皆さん初めまして。ギャンブル依存症のヒデです。 私はコビープランにお世話になって10ヶ月が過ぎたところです。 私は過去3度ギャンブルに依存してしまい借金や他人・会社のお金に手を付けるなど、散々な事をしてきました。そして、自分の力ではどうにもならないと無力を認め、助けの手を差し伸べて下さったコビープランへの入所を決意しました。自分の病気でもあるギャンブル依存症はとても恐ろしい病気で、年月が経つにつれてどんどん悪化していきます。現在はそんな恐ろしい病気と向き合っているところです。 しかし、ただギャンブルを辞めていれば良いという問題でもなく、自分自身の性格上の欠点や取り組むべき課題などと日々戦いながら生活しております。 現在、仲間の人数がどんどん増えている事もあり、色々な人がいる中で自分自身の問題点がたくさん出てきます。そんな問題点が出る度に自問自答しながら回復に向けて一つ一つ課題をクリアしている状態です。 ですが、自分一人では解決できる問題ではないです。仲間の中で手本・参考になる仲間がいるので、同じ依存症という病気を持った仲間からも吸収する事がたくさんあります。 今後は、日々自分自身と向き合う事を忘れず、今まで迷惑を掛けてきた家族・恋人・友人に自分の出来る範囲で埋め合わせをしていきます。 まだまだ先は長いですが、この依存症という病気と常に向き合い、回復へと向かっていければと思っております。 長々と失礼致しました。 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

連載11人目!

2023/11/07

連載11人目です。

cobyplanのメンバーと言うか、OBというかそんな感じのユウダイです。彼と会ったのは2年半前かな。

初めは病気や特性にコントロールされまくっていて、勢いで施設を飛び出す事もあった。もちろん若いから勢いで何とかならないかなと本当に思った事もあったけど、最終的にはどうしていいかわからないから助けて欲しいと懇願し、施設の様々なプログラムを経て現在に至っている。

施設内のプログラムは終了したので退所し、地域で一人暮らしをしながら就労移行支援につながっている。週に一度のメンテナンスでデイケアに顔を出し、自助グループに参加をしながら就労目指して取り組んでいる。

 

実は知っている。

施設を出て、ホストでナンバー1になれなかったこと。

施設を出て、生きていくための金策で宝物の本を売ったが、タクシー代とギャンブルで目的地にさえ到着できなかったこと。

助けを求めた後は、苦手な事でも意欲的に取り組んでいたこと。

明日のことは、やっぱりわからないけど大きく成長し、人として信頼できるユウダイ。ではどうぞ。

 

初めまして、ユウダイです。

早いものでコビープランに入寮して3年になろうとしています。

繋がった当初は自分の状況も精神面もボロボロでどうにもならなかった事を覚えています。

たくさんの方の助けがあり、成長を促してくれる施設の仲間が周りにいてくれたおかげで、

厳しい毎日ではありましたが、なんとかここまでやってこれました。

前の自分と今の自分を比べると、落ち着きを得たり、考えが変わったりと

色々変化してると思います。

素直に繋がれてよかったと思います。

この場を持って、施設長、施設に繋げてくれた両親と病院の先生、

クリニックの先生、先行く仲間、仲間の方々、施設のスタッフ、エイサーチームの方々、

2年9ヶ月の施設生活で自分に関わってくれた全ての方々に向けて、

感謝の意を示したいと思います。どうも有り難う御座いました。

 

…かたいな。

ユウダイの優れているところは、文字では分からない。

悪ノリして、肛門ロケット花火や全裸大の字川飛び込みの写真を貼ろうか迷いましたが、こないだカミさんに時と場所を考えて生きるよう諭されたばかりなのでやめておきます。

 

連載10人目!

2023/11/03

トクスケは今日は休みなので、仲間たちと釣りに出かけています。

僕は結婚記念日なので休もうと思っていましたが、10人目の記事が送られてきました。

 

さて、今日はアスカです。

かれこれ1年の付き合いになります。遠方から助けを求めて佐賀に来られ、人生で初めてギャンブルの問題に取り組んでいます。理解が難しいかもしれませんが、安定した生活やトラブルのない生活に身を置くことが苦手で、無意識にリスクをとりに行く生活を送っていた様です。平凡な生活に慣れてきたこの頃。

どう変化していくか楽しみです。

 

初めまして、強迫的ギャンブラーのアスカと申します。

私は北の大地H海道から2022年9月に佐賀の土地に来ました。時の流れは早いもので、一年が過ぎました。

ギャンブルをヤメたくても自力では無理でしたので、初めて自ら助けて下さいとお願いをして、助けてもらいました。

今だに欲求が出て来て困ってますが、日々、仲間の中に居る事でなんとか止まっています。

自分は、1度でもギャンブルに手を出すと止らなくなるので、もう、やりたくないと思っていますが、、、

とにかく今は、今日一日やらないをモットーに日々の生活を送っています。

私の回復はまだ始まったばかりなので、一日一日を大切にしていきたいです。

 

 

連載9人目!

2023/11/01

企画者のトクスケは思った様に記事が集まらず、ストレスのため過食気味とのこと。

スタイルを気にしてダイエットしていたから、リバウンドだろうと思ったけど言わないことにした。食欲の秋だし。

 

さて、今日はウッチーです。

山梨遠征の時は運転手の僕の後ろでずっと起きていて話しかけてくれたり、みんなに面白い企画を提案してくれたり、どこかで回復に貪欲なところもあって、良いとこ一杯あるんだけど、それ以上にやらかしもある。そんなアンバランスなウッチー、どうぞ。

 

 

こんにちは、依存症のうっちです。

 施設で一番自由で一番迷惑をかけている人間ですが、少々のお時間お付き合い頂ければと思います。

15歳の冬に競馬を覚え18で上京し、20歳の誕生日の週にはサラ金から融資を受けました。もう8年前には依存症でした。

 大学では法学を専攻していましたが、国際海洋法や憲法など実学に乏しい学問を叩いていたからか、今でも大して役に立ちません(泣)

学生時代はアルバイト先では金銭の問題は起こしませんでしたが、私生活は散々なものでした。その後、順調には卒業せずやたら単位を取って、卒業しました。外資系の企業で一応マネジメントの仕事をしましたが私生活の金の問題で会社を退職。その後某インターネット関連の企業やベンチャーでフラフラする生活もしますが、すぐに終焉を迎えました。

 その頃には依存症の末期の症状でしたが否認の病の状態に陥っていました。その後は夜逃げの手伝い、夜職への金貸し(所謂闇金)などアングラな生活になり、知人とも疎遠になり、ちょうどその頃、障害者手帳を交付されてからは自分自身への強烈な劣等感と社会への恨みや妬みをギャンブルで発散させるようになり、何度も警察の面倒になるようになりました。全てがギャンブルで生活の全てがギャンブル中心になりました。

 実家を追い出されてからもそのようなことは続き、数度の自殺未遂と薬のオーバードーズなどで限界を迎え都内の精神病院に入院する事になりました。最初は保護室と呼ばれるトイレの扉も無い時間も分からない窓のない部屋に閉じ込められ、不安と孤独感を感じました。次に閉鎖病棟と呼ばれる病棟に移されましたが、1日1回看護師さんと外に散歩に連れて行ってもらい、少しの安堵感と売店などにも行けたので、ここで解毒をして生活を立て直そうと思い入院生活を送っていましたが、その後のカンファレンスで両親が自宅は引き払った事、施設に行くか一生入院をするか選べと言われ、絶望。その時リストカットを数回しました。精神病院に繋がってから底つきをしました。

 それから暫くすると別の病棟に移る事になり、今まで行けていた売店や散歩も行けなくなり、完全に2重扉の中の生活になりました。刑務所で懲役刑を科せられているのと同義の生活の中で生活費は底をつき洗濯も出来ず、精神が参ってしまい、死を覚悟しました。

 その後のカンファレンスの時に1年の入院か、九州の施設に繋がるか選べと主治医より選択を促され施設に入所をする事になるのですが、その時は何をするのかどうやって生活をするのかが分からず、不安感で寝れない日々が続きました。

 施設の職員がカンファレンスの1ヶ月後に私のことを迎えに来てもらい、桜が咲く前に入院し、退院した時は真夏の蝉の鳴く頃でした。佐賀に来る飛行機の中で、久々の外の世界を垣間見ることができ、感涙したことを今でも覚えています。

 佐賀空港から施設の寮に移動し寮で施設長に挨拶をして、少しの安堵感に包まれた私は4ヶ月間の入院でボサボサだった髪を整える為に散髪をさせて貰いました。その晩は拘禁反応?と呼ばれるもので一睡もできませんでした。

 生活に慣れた頃にはスリップ(依存行為の再発)が始まりました。去年の9月頃の話です。そこからは早いもので SIMカードを買いスマートフォンを手に入れ現金を湯水のように使いました。それが今年の2月まで続き、金が尽きて脱走しました。人間不信と自分自身に対する強烈な劣等感で放浪しました。

 自分の限界を認め、施設長に電話し東京の施設の職員に羽田まで送ってもらう際に12ステップについての話を伝えてくれました。一時間ほどの車内の会話でしたが、一番濃密な時間を過ごす事が出来ました。叶う事ならこの人にスポンサーをお願いしたい想いはその時から変わらずですが今でもお願いできずにいます。

 戻ってきてからは疎外感に苛まれる事があるのではないかなと思いましたが、そのようなことはなく施設の仲間もエイサーを教えてくださっている方も暖かく迎え入れて貰いました。暖かい気持ちに包まれる自分がいました。脱走するときもエイサーで出会った方が作ってくれた赤い太鼓のキーホルダーを握りしめて脱走した自分ですが、その集団にいる事が好きなんだなと実感しました。本当にその団体の方には感謝しています。

 その後も細かいやらかしは続きますが、周りの仲間の強力な支えとエイサーで出会った人との縁でしっかりと人としての道を歩んでいこうと思います。

 脱走後も受け入れてくれた施設長、戻る決心をさせてくれた赤い太鼓、そしていつも支えてくれる仲間に感謝を最後に綴り、筆を置きたいと思います。有り難う御座いました。

 

 

連載8人目!

2023/10/31

連載が続いてます。

今日は土の番の様です。彼は熱い男で、一度思い立つとその熱がなかなか冷めない男です。熱すぎて、言葉が必要ではない生き方をしていたようです。佐賀に来てからも、ミーティングに参加できない。思いが強く、熱いもんだから人の話は何言っているかわからなかったし、自分の話も出来なかった男です。

ではいってみましょう。

注意:本人の変化を知ってもらうために、貰った原稿をそのまま転載します。少し読みにくいところもありますが、僕としてはこんなに考えをまとめることができる様になったんだ。また、それを文章にすることができる様になったんだと驚いているからです。

 

 

ギャンブル依存症の土です。

僕は今年3月に施設に繋がりました。主にやってたギャンブルは ボートレース、パチンコです。自分の金では抑えきれないぐらいひどいぐらい依存症でした。たくさんの人から嘘をつき お金を借り そのお金でギャンブルをしてました。 借りまくって親に肩代わりしてもらってもまた借り 消費者金融にお金を返済しても またその返済した日にまた出して ギャンブルをしてました。 ほんとうに今考えると 迷惑かけまくった思うし アホな事してたな思います。異常な僕をすぐ気づいたのは親でした。 親はギャマノンに繋がり 何回も休みの日に通い 僕を話し聞きに行けとなんども 言ってきたり紙わたされたりされてましたが 僕は行きませんでした。 僕は借金を繰り返すうちに ほんまに先がみえなくなり どうしようもなくなって 一回話し聞きにいきました。 そこにはたくさんの依存症の方がいて 自分の出来事を話すのですがまるで自分の話しをされてるかのように 同じ事をたくさんしてる方がいました やっとそこで強迫的ギャンブラーって気づきました。 そっから僕は帰る家もなかったので 次の日に施設行くって決まりました。最初はいくって胸はっていましたが自由がなくなる 施設にはいると何もできないってなり 次の日にいきませんでした。 でも親から ホームレスになるか縁切るか言われて悩んだ結果いく事を決意しました。 決意してから新幹線にのり 九州の施設に繋がりました。 初めての場所で駅着いて改札口通ると 真面目な方1人とチャラい人が1人入る思いました まさかの施設長と職員のかたでした。 僕はそのまま施設にむかい生活を送りました でも心を開けずやる気もなく気持ちに嘘をついて 2日後に施設を出ました 出てからすぐに地元に帰り 帰っても親ともらまともに会話もできず施設にかえれと何度もいわれ また考えて2回目戻りました 2回目戻ってまた10何日かで変わりたい気持ちが弱くまた2回目でました。 2回目の時はある駅で約4時間近く座って考えて 出たその日の終電でまた施設がある ところに戻りました。 僕はその4時間で今まで以上人生で考えた事ないぐらい たくさん考えました。 その結果やった事ない事をしよう 頑張って周りを見返してやろうと思い。 戻ってきてからエイサーを初めました。 エイサーの初めての本番は 涙流しちゃいましたね、笑 クリーンも徐々に継続していき 8月には自助グループで役割をもつことになりました。 自分からやってみたいと仲間にいいました。 何かを継続させるってのを学べるかなと思いする事にしました。 仕事も継続できなかった自分 今後のために何かを学べるだろうと思い決めました。 この7ヶ月間の間でたくさんの 職員さん、仲間には 色々な事を気づかせてくれました。 ほんとうに今では 繋がってよかったって感謝してます 1番は僕をここに繋げてくれた 親にはものすごく感謝してます。 もう人を困らせる人生を送りたくないです。 そのためには 正直 心を開く やる気 この3つを忘れずに今日1日を頑張っていきたいと思います! 長い文書でしたが見てくださりありがとうございました! byツッチー

 

今のご時世、外見の描写で例えると怒られてしまいそうですが、

サンシャ○ン池○と似てるのです。熱さというか、熱さというか、熱さが。

あ、ヘアバンドもです。

感謝の手紙

2023/10/27

グレイスロード(山梨)のメンバーに冗談は通じますか?

グレイスロードのメンバーは冗談しか通じないよ。

 

山梨遠征は、このやりとりから始まった。

果し状を送り、果たし受け状を受け取り、そして手前で準備したマイクロバスに揺られて片道16時間の旅に出る。

 

 

こちらは、果し状を受け取るグレイスロードのセンター長池田さんの画。

道中狭い空間で閉じ込められればストレスも高まり、各人の癖や特徴、良いところや悪いところが垣間見れて運転手の僕はとても面白かったのだけど、みんなは大変だったろう。

それでも、いい年こいた成人男性が遠足みたいなことをすることもそうないだろうし、いい経験をした、、はず!!

 

山梨から戻ったら素敵な手紙を受け取った。

COBYPLAN宛の手紙で「感謝の手紙」在中と裏に書いてある。送り主はわからない。

僕は猜疑心の強い人間なので、誰かのいたずらか何かかと思って実は恐る恐る開封したらば、

美しい字で山梨遠征の一部始終についての感謝の手紙だった。

 

 

僕は誰かに褒めてもらいたくて今の活動をやっているわけではなく、

やはり自分のためにやっている活動なんだけれども、

それでもこの活動が誰かに見守られていることを思うと、

安心するし、だからこそ襟を正さないといけない思いにもなる。

僕らの活動のほとんどは、ギャンブルによって疲れ切ったギャンブラー本人やその家族からの支援ではなく国からの支援で成立する。未だに、自業自得だろ?病気?という風潮は続いていて役所で手続きしようにも受け付けてもらえないことが多く難儀する。戦うことはしたくないのに、未だに戦わなければならない局面は多い。

そして僕らも疲弊する。

 

以前にもどこかで喋ったか、どこかに書いたか覚えていないがCOBYPLANなんて施設は将来的には無くなってしまった方がいい。その考えは今でも変わらない。

だってそうじゃないか、施設がなくて済むということはギャンブル問題で生きていくことがどうにもならなくなった人たちがいなくなるということ。それこそ誰もが幸せな結果のはずなんだ。それでも施設のみんなと生きている。そんな自己矛盾を抱えながら日々生きている中で、こんな素敵な手紙をいただくことができた。誰がどこから送ったのか、想像もつかないけど嬉しかった。ありがとうございました。

 

 

それで山梨の試合の件。

 

マイクロバスに乗ってぎゅうぎゅうの鮨詰め状態で移動する。

覆面パトカーに数回遭遇したけど、冷静にみんなの安全を守りました。

僕は往復のべ32時間の運転で佐賀に戻ってから、時差ぼけになりました。あは。

 

 

フットサルの試合は惜敗。今気がついたけど、COBYPLANのメンバーは髪の毛染めてる率高い件。

 

 

ソフトボールの試合は勝利。この日の前にエース級のメンバーが施設を出ていくことになったとかなってないとか。施設あるあるではあります。実はこの日僕も、試合に出るつもりで準備してたし、なんなら落合マジックばりの采配で、勝利に貢献したいなと考えていたのに甲府の地で施設を出ていくと決めた仲間がいて、対応に苦慮し出場したのは最後のバッティングのみ。1打数1安打2打点のツーランホームランでした、あは。

 

 

マリオになって、カメラマンとしても活躍した。施設の代表がこれで大丈夫かどうかはわかりません。でも楽しんだもん勝ち。

 

 

本当は今回の試合、エキシビジョンマッチではなく勝利にこだわったものだったのだが、

僕が監督でもキャプテンでもなかったおかげで、結局全員出場。足のわるい亀吉は打つのみ。構えていた代走のルミナスがバッターランナーとしてフライングする画。

こういうの、いいなぁ。

COBYPLANはできること(得意なこと)とできない(得意じゃないこと)ことのギャップが大きい人たちが集まっている。施設の中では、それをたとえ表面的であったとしても支え合って生活している。いつかここから旅立ったとしても、それは生きていく上で大事にしてほしい。

 

 

終わったら、グレイスロードのメンバー、COBYPLANのメンバー全員でバーベキュー大会。

準備に追われた職員の皆様ありがとうございました。お腹いっぱい、胸いっぱいで楽しんでいたようです。

 

 

最後に全体写真を撮って終了。

夜はミーティングで分かち合い、翌朝早いにもかかわらず見送りしてくれた仲間たち、ありがとうございました。

 

苦しんでいたのは自分だけじゃない。

仲間がいる。

連載7人目!

2023/10/26

けいです!施設で過ごすようになって2年が経ち3年目になりました。

18年間一度もギャンブルが止まることがなかった人が仲間とスタッフと施設の力をお借りして

2年間止まっているという奇跡を経験しています。

正直ギャンブルをやめたともやめれたとも思っていません。

ただただ止まり続けているだけだと・・・

未だに欲求が入ることもあります。そのときこそどう過ごすかが大事だと言うことも日々の生活で実感してます。

これから先、一体自分がどのような生き方をするのか、どうなるのか正直わかりませんが、とりあえず今日一日だけ

この一瞬を、今この時をどう過ごすかによって今日一日が決まる、今日一日だけ止めておこう、やめておこうに繋がることも

この2年間で学びました。

施設では本当にいろんな経験をさせて頂いています。先日は1000km離れた仲間の元へ行き、たくさんの気づきと刺激を

もらうことが出来ました。

この経験が自分にとって実り大きいものになるように育てていきたいと思います。

最近の若い子たちは早くからこういう施設に繋がれて幸せだな、羨ましいなと思うことが多くなって来ました。

スリップしようが、リラプスしようがこういう施設に繋がっていることが大切なんだなと日々思うようになりました。

私は36歳という高齢部類で繋がりましたが、繋がってよかった、助けを求めて良かったと実感しています。

文章が下手くそで申し訳ありません。

 

連載6人目

2023/10/19

依存症からの回復に12ステッププログラムというものを使う人たちがいる。もちろん施設としても、僕自身としてもそれを勧めるわけだが、それを選択するかは人による。

そのプログラムの中で、自己中心性に気がついたり、配慮が足りない事だったり、下心があったり、恐れがあった上での自身の行動を知って行くことになる。また、それを解決していく術を身につけていくのだろうと思うけれども、例のトクスケは今まさに取り組んでいる最中で、スポンサーとの時間の調整でなかなか思う様に進まないものだから、全てのエネルギーを僕にぶつけてくる。

スポンサーとのやり取りで、自分のペースで進まない方を知り、それを受け入れていく事もまた大事な過程である事を知ることになるのだが。

そう、連載6人目の記事が送られてきた。

 

トクスケの課題を側で見ていてヨシヨシと薄ら笑いをしているのも良いのだが、そう僕もまた病んでいるので、トクスケへのダイレクトな嫌がらせを思いついた。

 

山梨遠征中の写真を晒してしまえ。

という事で、連載6人目いってみよー。

はじめまして。こんにちは。

「のび」と申します。令和5年に”本厄”を迎えました。

コビープランをリハビリ拠点として、利用させて頂き、

約2ヶ月が経過しております。 サポートしていただいている、

職員の方々、僕と同様の依存症で悩んでいる友人の方々へ

日々、”ありがとう”の連続です。

初回の今回は、アノニマスネームの「のび」の由来について、

綴らせて頂きます。

この文面を読まれている大半の方々は、この 2文字より

ドラ●もんのキャラクターが思い浮かぶのではないでしょうか?

その通りです。

僕は、ドラ●もんを含め、藤子・F・不二夫先生の作品を

愛して止まない、”垂れマユ毛 髭メガネ”の ギャンブル依存者です。

尚、行動全てにおいて、ノンビリしています。

あっ!僕に対しての NGワードは ”おじさん” です。

ふつつか者ですが、末長く、ノンビリと、宜しくお願い致します。

 

ちなみに、のび太に似てるかと言われれば似ています。。

 

 

連載再開、5人目!

2023/10/18

先日、トクスケの煽りが減ったと言ったばかりなのにメールチェックしていたら、来てました。僕としては先週の山梨遠征の事を書きたいのに、なかなか時間が取れません。

早めの退社が功を奏した香取さんです。

僕の大好きな田中みな実の元恋人藤森さんです。

わかる人にはわかると思いますが、タバコの透明なフィルムで緊急無線のモノマネで一世を風靡した柳沢せんぱいです。

その節は大変お世話になりました。

何故かお金の匂いがぷんぷんする山城さんです。

 

いいえ、連載5人目はしんごです。

皆様ごきげんよう。借金1000万プレイヤーのシンゴです笑笑 私はコビープランにお世話になって三ヶ月経ちました。 ギャンブルをやめたいという強い意思で入寮させて貰いましたが10月の頭にスリップをして少 し落ち込み気味です。 ですが、施設にいるからスリップによるダメージが少なく済んだということに感謝してこれか らも 直向に頑張って行こうと思っています。

 

振りが長くなってしまいましたが、

5人目のしんご繋がりということで、お後もよろしく、それでは!

メディアリテラシー

2023/10/17

トクスケから例の煽りが減って、

久しぶりの山田ネタ。

 

 

zoomでのオンライン研修。

もとを辿れば、施設として電話を持つことは退所後にという方針であったがこれがまた厄介で、退所と同時に否、電話を持つとすぐに再発するケースが少なからずあった。

どうせ問題が起こるなら施設にいる間に取り組もうという決断に至り、今ではルールを作って早めに持たせるようにしている。

ご存知の通り、今のご時世スマートフォンを通じていつでもネット投票ができたり、オンラインカジノにアクセス出来たりする。また、ネットを通じた人との繋がりを経由し、金策するための必要な物となっている。

ここで一つの選択肢となるのは、スマートフォンを持たないという事だが社会で生きて行くためにはそれもまた難しい。cobyplanの職員マツは、その希少生物の一種なのだが僕が勧めたわけではなく、彼の選択だ。ところが仕事をする上でスマートフォンを持たない人とのやりとりは、僕の立場からすれば不便な事が多く、データを送ってくれとか、資料を確認してくれとか、〇〇に連絡を入れてくれとかお願いする時に、僕がやらねばならない一手間がある。つまり、cobyplanの中だけで言えば配慮や工夫で乗り越えられたとしても、実際に外の社会で生きて行く、仕事をして行く時にはスマートフォンを持たないことはハンデとなる事が多いということでもある。

 

そこで、便利な機器とどう付き合って行くのかを彼らに伝えるべく、メディアリテラシーの講座を専門家を通じて行う事とした。

 

内容は割愛するが、スマフォ(←スマホ?今更だけどおじさん臭くないのはどっち?ま、いっか。)の機能や設定、またネット広告の仕組みなど様々な知識は本当に個人差があるのが現状。考えてみれば、誰かに教わった経験はない。習うより慣れろだし、その様に作られてきたものかもしれない。

 

全3コマ、見分ける賢さを手にして欲しいと切に願う。

 

 

 

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