COBYPLAN

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命名COBYPLAN

2018/07/20

今日はCOBYPLANの名前の由来について。

普通こういうのはブログ初めました!みたいな時に書きそうなものだから、順序が逆だろうと自分でも思うのだけれども…。

 

…まあいいか。

 

はじめにCOBYPLANとはギャンブル等依存症からの回復を目指す入所施設である。ルールはシンプル。プログラムを受ける。利用できる人の性別は関係ない。年齢も関係ない。利用料を払う。嫌でも3ヶ月頑張ってもらう。それでも嫌なら信頼できる他の施設を紹介するというのがコンセプト。

 

COBYPLANのロゴ

 

COBYPLANは施設の名で、時間をかけて慎重に検討した。だってそうでしょ?だいたい皆聞くじゃない。何でその名前にしたの?って。僕の名前もいろんなところで聞かれる。名前の次にはどういう字を書くのかと続く。最後は素敵な名前ですねと結ばれる。

正直、僕は自分の名前を人に伝えるのが昔からあまり好きではない。名は体を表すというけども、それが僕には当てはまらない。そんなこと僕を知っている人なら誰でも納得する。

 

だから電話で問い合わせなんかをして、名前を聞かれた時には嫌味っぽく、山田は普通の山田です。義則はjustice(正義)の義、rule(規則)の則という。justiceにruleってどれだけ堅いんだ。いうまでもない事だけど、正義とは真逆の生活をしてきたのが僕だ。例えば誰か一人の命と引き換えに、世界を救えるとしてもだれかが名乗り出るのを待ってるだけの男だし、ドラえもんのキャラで言えば誰かに守られて偉そうに振る舞うことができるスネ夫の様な男である。つまるところ僕は、名前と自分なりにこじつけたその意味とのギャップを受け入れられない中学生みたいな男なのかもしれない。(全国の中学生の皆様、失礼しました。)こんなこと言うと、せっかく命名してくれた両親に申し訳ない気がしてきたのでこれくらいで。

 

 

softbankの孫さんってそう言えば正義さんだった。

 

 

 

 

…そうそう、COBYPLAN。

名は体を表す。

理念を象徴する造語にしようというのがスタート。

共通、共同という接頭語のCO。例えば活動すると言う意味のoperateという言葉があるけど、これにcoがついたものがcooperateで協力、協働となる。このCOには一緒にやってみようという意味がある。ここを訪問する位の依存症の人なら多分わかると思うけど、愛好家から依存症という一段階上のゾーンに行くと大抵孤独になる様だ。それが病気の特徴だし、残念ながら日本の社会の問題でもある。だからこそだれかと一緒に回復できる環境というのは大事な所かなと思う。

 

ただこの一緒にというのは間違えると、支配する事になりかねないから、個のペースも大事にしたいと思っていたところ、BYという素敵な言葉を思い出した。混沌とした予備校時代に英語の先生が教えてくれた大事な言葉だ。英語は情緒的に読むことができると教えてくれた先生だったのだが、BYについては確かビートルズのSTAND BY MEをどう訳すかという授業を通してだった気がする。授業の半分以上をこれに当てるのだから、受験対策としては不合格の先生なのかもしれない笑。ただ、今だに僕は鮮明に覚えているわけで、あの先生の授業を契機に英語好きになった学生は他にも多くいるのではないかと思う。本来学問とはそういうもんだと思うし、教育者の理念はそこにあって欲しいと思う。

さてSTAND BY MEの訳に戻る。

直訳では「そばにいて」となる。だがこれは少し違うというところから話が始まる。

同じ前置詞で「IN」「ON」「AT」との意味の違いを視覚的、情緒的に教えてくれる。(確か、実際にこれらのINやON、ATをSTANDの後に使うかどうかは別だがとは言っていた。)例えばINだとしたら私の中の支えになって欲しいという意味合いが強くなってくる。ONなら私を持ち上げて欲しいという意味合いが強くなってくる。ATだとしたら私そのものとして支えになって欲しいという意味合いが強くなる。同じように「そばにいて」と訳せる文章でもこれだけニュアンスが違う。曲がりなりにも僕は精神科医療の中で働いていたものだから、他との距離感については常に意識が高く、このニュアンスの違いには素直に感動した。前置詞だからか、前置きが長くなってしまったが(うまいこと言った。)BYに話を戻そう。BYはINやONやATはまた少しニュアンスが違う。

木の根元で、人が座って本を読んでいるとき、その木と人との距離がBYのイメージらしい。(日本語にするとブサイクになってしまうのだけど、寄り添いみたいな感じかな。)

 

 

この表現が実に気持ちがよくって、「そばにいて」も侵略されない感じ。だからこそ、STAND BY MEは「そばにいて」と訳すのではなく「そばにいるだけでいい」と訳せるとの事だった。

ずいぶん長い事BYについて話を続けてしまったが、「一緒にやってみようよ。そうじゃなくても構わない。それが難しければそばにいるだけでもいい。どっちにしたって一人じゃないんだからさ。」

…ティーネージャーに受ける洋楽の和訳、もしくはツンデレメイドの台詞みたいになってしまったけど、そういうPLAN(やり方)がCOBYPLANの由来なのです。

おお、やっとしめられた。

 

しかし名前も覚えていないあの先生、今どこで何をしているだろうか。

僕は挫折して医者にはなれなかったけれども、あの時の学びは今ここに生きています。

なんちゃって。

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